横須賀城(YOKOSUKA CASTLE)

横須賀城 DATA

  • 別名 : 松尾城、両頭の城
  • 築城年 : 天正6~8年(1578~1580年)
  • 築城者 : 大須賀康高
  • 城の種類 : 平山城
  • おもな城主 : 大須賀氏、渡瀬氏、西尾氏

横須賀城の歴史

高天神城奪回のために築かれた城

横須賀城は天正6~8年(1578~1580年)にかけて、徳川家康の命により家臣の大須賀康高が築いた平山城です。武田氏に占拠された高天神城奪回のための軍事拠点として用いられました。

天正9年(1581年)、徳川家康はついに高天神城攻略を成し遂げます。高天神落城後、横須賀城は近隣支配の拠点となりました。

江戸時代の中頃まで横須賀城のすぐそばには横須賀湊があり、水運・物流の拠点になっていました。掛川城が東海道の押さえであったのに対し、横須賀城は遠州灘の押さえであったといえます。

明治維新を迎えると間もなく、横須賀城は廃城となり姿を消しました。

~ 横須賀城にまつわる逸話 ~

横須賀城は東西に長い形をした城で、大手門が東西2ヶ所に設けられていたことから⌈両頭の城⌋という異名が付けられています。

天守台の遺構です。
本丸内のこの場所には4層の天守があったと考えられています。周囲からは大量の瓦が発見されています。
本丸の南側から北の丸へと続きます。
本丸の南側から北の丸へと通路で繋がっています。左に見える斜面の上には、天守台があったと想定されます。

横須賀城の見どころ

玉石積みの石垣が珍しく、印象的

横須賀城は中世城郭と近世城郭の2つの特徴を持った城です。現在は本丸を中心に西の丸、北の丸などが史跡公園となっています。

城跡からは多くの遺構が発見されましたが、破損を防ぐため地下に埋められています。地上には石垣や土塁、天守台などが資料を基に復元・整備されており、案内板を見ながら往時の姿をイメージすることができます。

横須賀城の特徴の一つは、玉石積みの石垣です。表面のすべすべした丸い川原石が石垣に用いられていました。

北の丸の北東に位置する松尾山には多聞櫓が築かれていたと考えられ、実際に建物跡が発見されています。東端の空堀に面する場所であり、重要な防衛拠点だったと想定されます。

本丸南下門跡です。
本丸の南側から天守台をあおぎます。かつては門や塀で厳重に守られていたことでしょう。
玉石積みの石垣です。
復元された玉石積みの石垣です。石垣には大井川から採取した石が使用されています。

横須賀城の観光情報・交通アクセス

横須賀城跡の観光情報

住所 静岡県掛川市西大渕
開館時間 随時
休館日 なし
入館料 なし
駐車場 あり

横須賀城跡への交通アクセス

自動車にて

東名高速道路 袋井ICより20分前後

東名高速道路 掛川ICより25分前後

横須賀城周辺の観光スポット

  • 掛川城の天守です。

    掛川城 住所:静岡県掛川市掛川

    東海の名城とうたわれた掛川城は、山内一豊とその妻 千代が5万石で入城した城として知られています。一豊の在城中に掛川城は大規模改修され、城下町も整備されました。日本で初めて本格的に木造で復元された天守閣は必見です。
  • 高天神城跡です。

    高天神城 住所:静岡県掛川市下土方

    標高132mの鶴翁山に築かれ、難攻不落といわれた山城です。⌈高天神を制するものは遠州を制する⌋といい、武田氏と徳川氏がその領有を巡って激戦を繰り広げました。堀切や空堀、土塁などの跡がよく残されており、戦国の世を偲ばせます。