長篠城 DATA
- 別名 : ―
- 築城年 : 永正5年(1508年)
- 築城者 : 菅沼元成
- 城の種類 : 平城
- おもな城主 : 菅沼氏、奥平氏
長篠城は永正5年(1508年)、今川氏の将 菅沼元成によって築かれた城です。やがて今川義元が没すると、長篠城は武田氏と徳川氏による争奪戦の舞台となりました。
天正3年(1575年)、武田勝頼は1万5千の兵をもって長篠城を包囲、猛攻撃を開始します。対する城方は、城主の奥平貞昌を中心にわずか500の兵で必死に防戦したといいます。
まもなく危急を聞きつけた織田信長・徳川家康が援軍に来訪すると、武田軍との間で壮絶な戦いとなりました。世にいう長篠の戦いです。
この合戦で織田・徳川軍は大勝し、武田勝頼は自国へ敗走します。翌年、奥平信昌(貞昌から改名)は新たに新城城を築城して移ると、長篠城は廃城となりました。
~ 長篠城にまつわる逸話 ~
長篠城を巡る戦いの中で、欠かすことのできない人物が鳥居強右衛門(とりいすねえもん)です。武田軍に捕らえられた強右衛門は、援軍は来ないと嘘の呼びかけを行うよう強いられました。しかし強右衛門は、援軍の来訪を城に向かって叫んで伝えたといいます。強右衛門は武田軍によって磔に処されましたが、その勇気は後世に広く語り継がれています。
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長篠城址は豊川と宇連川が合流する断崖上にあります。南側は川と断崖に守られ、北側には堀と土塁が巡らされていました。
本丸のまわりには堀や土塁がよく残されており、長篠城址の見どころとなっています。本丸の土塁上に登って、上から見下ろすこともできます。
線路の向こう側にあるのは、野牛郭(やぎゅうぐるわ)です。野牛郭跡には櫓跡や、殿井と呼ばれる兵の飲料水となっていた泉が残されています。
城址に建つ長篠城址史跡保存館では、長篠の戦いに関する展示を中心に武具や具足など貴重な品々が見られます。周辺の散策に役立つ資料も配布されていておすすめです。
史跡保存館の裏手(北西)には、弾正郭(だんじょうぐるわ)跡が残されています。この弾正郭と本丸の間は深い谷となっており、そこを流れる矢沢川が豊川に落ちる不忍の滝(しのばずのたき)を本丸内から見下ろすこともできます。
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長篠城址史跡保存館の観光情報
住所 | 愛知県新城市長篠市場22-1 |
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開館時間 | 9時~17時(入館は16時30分まで) |
休館日 | 毎週火曜日(休日の場合は翌平日)、年末年始 |
入館料 | 一般210円、小・中学生100円 ∗団体割引あり、設楽原歴史資料館との共通券あり |
駐車場 | あり(無料) |
長篠城址史跡保存館への交通アクセス
- 電車にて
- JR飯田線 長篠城駅にて下車、徒歩8分
- 自動車にて
- 東名高速道路 豊川ICより30分前後
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