名古屋城 DATA
- 別名 : 金鯱城、柳城、亀尾城、蓬左城
- 築城年 : 慶長15年(1610年)
- 築城者 : 徳川家康
- 城の種類 : 平城
- おもな城主 : 徳川氏
かつて、名古屋城二之丸のあたりには那古野城(なごやじょう)という城が築かれていました。那古野城は大永年間(1521~1528年)に今川那古野氏が築城したもので、のちに織田信長が初めて城主となった城として知られています。
慶長14年(1609年)、徳川家康は大阪城包囲網の拠点として名古屋城の築城を決めます。そしてその普請(工事)を加藤清正をはじめ大名20名に命じると、翌年には工事が開始されました。
この天下普請により、慶長17年(1612年)には大・小の天守閣と各櫓が竣工。その3年後には本丸御殿が、さらに2年後には二之丸御殿が完成しています。
名古屋城には家康の9男 徳川義直が入城し、尾張初代藩主となりました。以降、名古屋城は明治に至るまで尾張徳川家の居城として歴史を刻んでいくこととなります。
第二次世界大戦時、残念なことに天守閣はじめ多くの建物が焼失してしまいました。今日見られる天守閣は後に再建されたものであり、外観はほぼ正確に復元されています。
~ 名古屋城にまつわる逸話 ~
徳川家康が命じた⌈清須越し⌋により、かつて尾張の中心地であった清洲城は廃され、名古屋へ移されました。清洲城取り壊し時の廃材は、名古屋城(西北隅櫓など)に転用されたと伝えられています。
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名古屋城観光のメインとなる天守閣は、金鯱を屋根に戴く大天守と小天守で構成されています。天守閣内部には実物大の金鯱が展示されており、各階には模型やパネル、ジオラマなど様々な展示を楽しむことができます。
近世城郭御殿の最高傑作ともいわれる本丸御殿は現在復元工事中ですが、玄関・表書院はすでに完成しており、公開されています。全体が完成するのは2018年の予定だそうです。
本丸南側にある表二之門は本丸大手の外門で、築城当時から現存する貴重な建造物です。表二之門の東には東南隅櫓(辰巳櫓)が、西には西南隅櫓(戌亥櫓)が目に入ります。
西北隅櫓(清須櫓)や乃木倉庫が建つ御深井丸(おふけまる)、二之丸に造られた名勝二之丸庭園・二之丸東庭園なども散策していきましょう。
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名古屋城の観光情報
住所 | 愛知県名古屋市中区本丸1-1 |
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開館時間 | 9時~16時30分(天守・本丸御殿への入場は16時まで) |
休館日 | 12月29日~12月31日、1月1日 |
入館料 | 高校生以上500円、中学生以下無料、名古屋市内の65歳以上は100円 ∗団体割引あり、定期観覧券・徳川園共通券あり |
駐車場 | 正門前有料駐車場・二の丸東有料駐車場あり |
名古屋城への交通アクセス
- 電車にて
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地下鉄名城線 市役所駅より東門まで徒歩5分
地下鉄鶴舞線 浅間町駅より正門まで徒歩10分
- 路線バスにて
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JR名古屋駅より
なごや観光ルートバス メーグル⌈名古屋城⌋にて下車、正門まで徒歩1分
市バス⌈市役所⌋にて下車、東門まで徒歩5分
- 自動車にて
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名古屋高速都心環状線 丸の内出口より5分前後
名古屋高速1号楠線 黒川出口より8分前後
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清洲城 住所:愛知県清須市朝日城屋敷1-1
清洲城は那古野城に次いで信長の居城となった城です。信長亡き後、後継者を決める清洲会議が行われた場所としても知られています。城跡付近には天守閣が再建され、本丸跡に整備された清洲公園には信長と濃姫の銅像が見られます。 -
古渡城跡 住所:愛知県名古屋市中区橘2-8-55
天文11年(1542年)頃、信長の父 信秀が築いたとされる平城です。信秀が末森城(末盛城)へ移ると廃城になりました。古渡城跡は真宗大谷派名古屋別院となっており、境内の隅に城址の碑が建っています。 -
萬松寺 住所:愛知県名古屋市中区大須3-29-12
信長の父 信秀が織田家の菩提寺として創建した寺です。萬松寺で信秀の葬儀が行われた際、信長が抹香を位牌に投げつけたという有名な逸話が残されています。かつては別の場所にありましたが、名古屋城築城時に当地へ移されました。 -
政秀寺 住所:愛知県名古屋市中区栄3-34-23
信長の傅役であった平手政秀の菩提を弔うため、信長が創建した寺です。政秀は、若き日の信長の奇行を諌めるため自刃したと伝わります。政秀の墓は現在、平和公園墓地政秀寺墓域(名古屋市千種区平和公園)へ移されています。 -
熱田神宮 住所:愛知県名古屋市熱田区神宮1-1
桶狭間の合戦に際し清洲城を出立した信長は、熱田神宮に立ち寄り戦勝を祈願しました。合戦に大勝したお礼として、信長が奉納した信長塀が境内に残されています。また、熱田神宮文化殿では信長ゆかりの宝物を観覧することができます。
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