岐阜城 DATA
- 別名 : 稲葉山城
- 築城年 : 建仁年間(1201~1204年)頃
- 築城者 : 二階堂行政
- 城の種類 : 山城
- おもな城主 : 二階堂氏、斎藤氏、織田氏
金華山(稲葉山)の山頂に築かれた岐阜城は、もとは稲葉山城、井口城と呼ばれ、建仁年間(1201年~1204年)頃に鎌倉幕府の吏僚 二階堂行政によって築城されたものといわれています。ただ、築城に関して正確なところは分かっていません。
戦国時代に入ると天文11年(1542年)、⌈美濃の蝮(まむし)⌋と呼ばれた斎藤道三が美濃守護 土岐頼芸を追い払って稲葉山城(のちの岐阜城)に入城。道三は稲葉山城を修築し、以後、この城は斎藤家3代(道三・義龍・龍興)にわたっての居城となりました。
永禄10年(1567年)、織田信長は稲葉山城主 斎藤龍興を破るとこの地に本拠を移しました。その際、稲葉山を金華山とし、地名の井ノ口を岐阜に、稲葉山城を岐阜城と改めています。信長が「天下布武」の朱印を用いるようになったのもこの年からです。
天正4年(1576年)、信長は琵琶湖畔に安土城を築いて居を移すと、嫡男 信忠が岐阜城主となりました。しかし、信忠が本能寺の変に際して明智軍と奮戦し自刃すると、羽柴秀吉とともに光秀を討った信長の三男 信雄が岐阜城主となっています。
その後、岐阜城主は池田元助、池田輝元、豊臣秀勝と続き、文禄元年(1592年)には信長の孫にあたる織田秀信が城主に任じられました。関ヶ原の戦いにおいて西軍に属した秀信は東軍との戦いに敗れ、開城。慶長6年(1601年)、岐阜城は廃城となりました。
~ 岐阜城にまつわる逸話 ~
永禄7年(1564年)、斎藤龍興に仕えていた竹中半兵衛重治が17人の手勢で稲葉山城を乗っ取るという事件が起きました。ほどなく、重治は斎藤龍興に城を返還しています。
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岐阜城は、標高329mの金華山(稲葉山)山頂に築かれた山城です。金華山はかつて⌈一石山(いっせきざん)⌋と呼ばれたように一つの岩塊で成り立っており、山裾には清流長良川が流れています。天然の要害に囲まれた岐阜城は難攻不落の城と言われていました。
現在残っている三層四階の壮麗な天守閣は、岐阜のシンボルとして昭和31年に再建されたものです。城内には様々な史料が展示されており、4階の展望台からは濃尾平野や長良川を一望することができます。期間限定で夜間営業もしており、夜景スポットとしても知られています。
岐阜城天守閣から一段下がった場所には、食糧庫や武器庫を復元して建設された岐阜城資料館があります。ここでは、岐阜城に関連する江戸時代以前の歴史資料を見ることができます。
金華山ロープウェーの山頂駅から天守閣への途中には、伝一ノ門跡や伝二ノ門・下台所跡、本丸井戸などが残されています。また、山頂駅付近には金華山リス村(日本で最初に開園したリス園)があり、直にリスと触れ合うこともできます。
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岐阜城の観光情報
住所 | 岐阜県岐阜市金華山天守閣18 |
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開館時間 | 5月12日~10月16日 8時30分~17時30分 10月17日~3月15日 9時30分~16時30分 3月16日~5月11日 9時30分~17時30分 ∗元日のみ9時30分~16時30分 ∗期間限定で夜間営業あり |
休館日 | なし |
入館料 | 16歳以上200円 4歳以上16歳未満100円 ∗30人以上割引あり |
駐車場 | 岐阜公園堤外駐車場あり(有料) |
岐阜城への交通アクセス
- 路線バスにて
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JR東海道本線・高山本線 岐阜駅、名鉄 名鉄岐阜駅より
岐阜バス⌈岐阜公園・歴史博物館前⌋にて下車、岐阜公園まで徒歩3分
- 自動車にて
- 東海北陸自動車道 岐阜各務原ICより20分前後
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岐阜公園 住所:岐阜県岐阜市大宮町1-46
金華山の麓に広がる岐阜公園は四季折々の自然がとても美しい公園です。園内には金華山山頂へ上る金華山ロープウェーの山麓駅があり、日本庭園や岐阜市歴史博物館など見どころが豊富です。また、織田信長の居館跡と伝えられる遺構も園内に残されています。
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