掛川城 DATA
- 別名 : 雲霧城、松尾城
- 築城年 : 永正9年(1512年)頃
- 築城者 : 朝比奈泰凞
- 城の種類 : 平山城
- おもな城主 : 朝比奈氏、山内氏
今川氏の重臣 朝比奈泰凞(あさひなやすひろ)が遠江支配の拠点として築いたのが、掛川城の前身となる掛川古城です。現在の位置から500mほど東に築かれていたといいます。
しかし今川氏の隆盛とともに古城では手狭となり、永正9~10年(1512~1513年)頃、現在の場所に掛川城が築城されました。
桶狭間の戦いで今川義元が討ち取られると、武田氏、徳川氏は今川領へ侵攻を始めます。義元から家督を継いだ今川氏真は掛川城に立て籠もりますが、徳川軍との攻防の末に開城しました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下を統一すると徳川氏は関東へ移封(国替え)となり、掛川城には秀吉配下の山内一豊が5万石で入城しました。
山内一豊が城主として在城した10年の間に、掛川城は大きく変貌を遂げます。一豊は城郭の大改修を行い、城下町の整備にも力を尽くしました。掛川城に初めて天守閣が築かれたのもこの時です。
掛川城は、江戸時代後期の安政東海地震により天守閣を含む大半が損壊。明治2年(1869)年に廃城となりました。
~ 掛川城にまつわる逸話 ~
今川義元が桶狭間で没してのち、今川家は衰退の一途を辿りました。武田氏に駿河を追われ掛川城に逃げ込んだ今川氏真でしたが、今度は徳川家康の軍勢に攻められてしまいます。この時、天守丸の井戸から霧が立ち込めて城を包み、徳川軍から城を守ったと伝えられています。
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掛川城の見どころとして一番に挙がるのは、やはり天守閣でしょう。掛川城の天守閣は国内で初めて木造で復元されたもので、規模はそれほど大きくないものの、軒唐破風や華頭窓などを配したその姿に目を奪われます。
天守閣の中へは付櫓から入ります。内部には掛川城に関する資料が多数展示され、最上階からは掛川市内を一望できます。晴れた日には富士山も見えるようです。
また、江戸時代後期に建てられたという掛川城御殿もぜひ見ておきたいところです。御殿は藩の公的式典の場であり、藩政を担う役所であり、藩主の公邸でもありました。書院造で、およそ20部屋に分かれています。
逆川を隔てて少し離れた場所にある大手門も見どころの一つです。掛川城最大の門であり、その堂々たる姿は掛川城の風格を示しているかのようです。この楼門造りの櫓門は山内一豊によって築造されました。
城への入口となる四足門の近くには三日月掘(みかづきぼり)や十露盤堀(そろばんぼり)が残されています。他にも、竹の丸や二の丸美術館、二の丸茶室など、見どころ豊富です。
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掛川城の観光情報
住所 | 静岡県掛川市掛川 |
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開館時間 | 2月1日~10月31日まで : 9時~17時(入館は16時30分まで) 11月1日~1月31日まで : 9時~16時30分(入館は16時まで) |
休館日 | なし |
入館料 | 高校生以上410円 小・中学生150円 ∗20名以上で団体割引あり |
駐車場 | 大手門の近くに大手門駐車場あり(有料) |
掛川城への交通アクセス
- 電車にて
- JR・天竜浜名湖鉄道 掛川駅下車、徒歩8分
- 自動車にて
- 東名高速道路 掛川ICより8分前後
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