松本城(MATSUMOTO CASTLE)

松本城 DATA

  • 別名 : 深志城、信府城、烏城
  • 築城年 : 文禄2~3年(1593~1594年)
  • 築城者 : 石川数正・康長
  • 城の種類 : 平城
  • おもな城主 : 石川氏、小笠原氏、松平氏

松本城の歴史

400年の時を刻む五重六階の国宝天守

松本城はもともと信濃守護 小笠原氏の支城で、深志城と呼ばれていました。しかし天文19年(1550年)、深志城は武田信玄に攻め落とされ、以後、武田氏による信濃支配の拠点となります。

天正10年(1582年)、武田氏が滅亡し織田信長も本能寺に斃れる中、小笠原氏が深志城を奪還し再び入城しました。このとき小笠原氏によって、深志城は松本城と改められています。

松本城が今日見られるような石垣造りの近世城郭に大改築されたのは、小笠原氏の後に入城した石川氏の時です。石川数正と康長が父子二代にわたって城と城下町の造営・整備に力を尽くし、康長の代に天守が完成したと考えられています。

天守の完成後には本丸御殿が建てられ、黒門や太鼓門などの枡形門も築造されました。なお、天守群の中の辰巳附櫓と月見櫓が増築されたのは寛永13年(1636年)のことで、当時の城主 松平直正によるものです。

~ 松本城にまつわる逸話 ~

石川氏によって築かれた本丸御殿は享保12年(1727年)に焼失し、再建されませんでした。以降、藩の政庁は二の丸御殿に移されたといいます。

復元された黒門です。
正面に見える黒門は本丸へと続く正門です。門内の券売所で観覧券を購入したら、国宝天守の建つ本丸を散策しましょう。
太鼓門枡形の二の門(高麗門)です。
二の丸の東には太鼓門が築かれていました。石垣と土塀で四角に囲まれ、内側に一の門、外側に二の門が復元されています。

松本城の見どころ

漆黒の天守閣は内部も見どころが満載

石川父子によって戦国時代末期に築かれた天守は、戦いを意識した堅固な造りとなっています。大天守のほか乾小天守と渡櫓に石落しが合計11ヶ所設けられ、壁には100を超える狭間(矢狭間・鉄砲狭間)が見られます。

天守の最上階では外の素晴らしい眺めに目がいきますが、屋根裏も見ておきたいポイントです。松本城大・小天守の最上階には天井が吊られていないため、入母屋内を見ることができます。中央には、城の守り神である二十四夜神が祀られています。

武骨な天守と対照的に優美な雰囲気を醸し出す月見櫓は、徳川三代将軍 家光を城に迎えるため増築されたものです。現存する月見櫓は希少で、残っているのは松本城と岡山城のみといいます。

天守群の他にも、復元された太鼓門枡形(二の丸の正門)や黒門(本丸の正門)、二の丸御殿跡など、じっくりと見て回りたいです。

松本城観光の穴場!

松本城の東にある松本市役所5階には無料の展望室があり、北アルプスをバックに城を上から眺めることができます。知る人ぞ知る絶好の写真撮影スポットです。

本丸内から見た松本城天守です。
中央の大天守と右の乾小天守は渡櫓で連結されており、辰巳附櫓、月見櫓とともに複合連結式天守を形成しています。
左手前に見えるのが月見櫓です。
天守南東の月見櫓は太平の世になって増築された月見のための櫓です。櫓の周りには朱塗りの回縁が巡らされています。

松本城の観光情報・交通アクセス

松本城の観光情報

住所 長野県松本市丸の内4-1
開館時間 8時30分~17時(入城は16時30分まで)
休館日 年末年始(12月29日~1月3日)
入館料 大人610円 小中学生300円
∗団体割引あり、小学生未満は無料
駐車場 市営駐車場あり(有料)

松本城への交通アクセス

電車にて

JR篠ノ井線・松本電鉄上高地線 松本駅下車、徒歩15分

JR篠ノ井線 北松本駅下車、徒歩10分

路線バスにて

JR長野駅より

松本周遊バス・タウンスニーカー北コース⌈松本城・市役所前⌋にて下車、徒歩すぐ

自動車にて
長野自動車道 松本ICより10分前後

松本城周辺の観光スポット

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    松本市立博物館 住所:長野県松本市丸の内4-1

    松本城公園内にある松本市立博物館では、松本の歴史・民俗に関する資料を常設展示しています。松本城と城下町に関する展示もあります。博物館は松本城と共通観覧券となっていますので、お城と併せてどうぞ。