桶狭間古戦場公園(OKEHAZAMA KOSENJO KOEN

桶狭間古戦場公園

桶狭間古戦場公園の歴史

若き日の織田信長が今川の大軍を破る

永禄3年(1560年)、駿河・遠江・三河を領する今川義元は二万を超える兵を率いて尾張へ侵攻しました。今川方に2つの砦(鷲津砦と丸根砦)を攻撃されたことを知った織田信長は、⌈人間五十年、下天の内をくらぶれば…⌋で有名な敦盛を舞い、出陣したといいます。

信長が今川軍に向け兵を進めると、幸運なことに突如として激しい豪雨が辺り一帯たたきつけるように降りました。義元率いる今川軍は沓掛城(愛知県豊明市)を出て桶狭間山で休息していたところ、豪雨に見舞われています。

信長は雨がやむと機を逃さず、義元のいる今川本陣へ怒涛の突撃を開始。今川方が大混乱の中で、ついに今川義元を討ち取りました。このとき信長も馬を下り、家臣と先を争うように戦ったといいます。

数の上では今川方が圧倒的に有利でしたが、天候と桶狭間の地形を味方につけた信長が勝利し、一躍歴史の表舞台に躍り出たのでした。

義元を失った今川家は衰亡の一途をたどります。一方、松平元康(のちの徳川家康)はこの機に岡崎城で独立を果たし、織田信長と同盟を結びました。

桶狭間古戦場の石碑です。
桶狭間古戦場公園の入口近くに立派な石碑が建っています。ジオラマ風に整備された園内を散策してみましょう。
南から眺めた古戦場公園の様子です。
かつて田楽坪と呼ばれたこの近くで桶狭間古戦場の碑が発見されました。ここが決戦の地だったのでしょうか。

桶狭間古戦場公園の見どころ

当時の地形などをジオラマ風に表現

愛知県内には桶狭間古戦場と伝わる場所が2つあります。そのうちの一つがこのページで紹介している桶狭間古戦場公園であり、もう一つは豊明市にある桶狭間古戦場伝説地です。

桶狭間古戦場公園の中央には織田信長と今川義元の銅像が並び立ち、シンボルとなっています。公園では、当時の地形をジオラマ風に石や池、園路などで表現しており、織田・今川・徳川の進軍ルートも石板に示されています。

今川義元は当公園のあたり(田楽坪)に追い込まれ討ち取られたと伝えられ、園内には義元の墓があります。2つの墓碑のうち、駿公墓碣(すんこうぼけつ)と刻まれた墓碑は付近で発見されたものです。

また、墓碑のすぐ脇には義元が当地の泉で水を飲むために馬をつないだとされる枯れた⌈ねずの木⌋があります。木に触れると熱病におかされるという言い伝えもあるそうです。

公園内には、織田軍が義元の首を洗い清めたと伝わる首洗いの泉も残されています。かつては清水が大量に湧き出ていたということです。

今川義元の墓です。
公園の隅に今川義元の墓があります。右側の駿公墓碣と刻まれた墓碑はいつ作られたものか分かっていません。
園内に泉が整備されています。
義元公首洗いの泉です。織田軍が今川義元の首を取り、この泉で清めたと伝えられています。

桶狭間古戦場公園の観光情報・交通アクセス

桶狭間古戦場公園の観光情報

住所 愛知県名古屋市緑区有松町桶狭間北3丁目
開館時間 随時
休館日 なし
入館料 なし
駐車場 なし

桶狭間古戦場公園への交通アクセス

電車にて
名鉄名古屋本線 有松駅下車、徒歩20分
路線バスにて

名鉄名古屋本線 有松駅より

名古屋市バス⌈幕山⌋にて下車、徒歩2分

自動車にて
名古屋第二環状自動車道 有松ICより5分前後

∗マップに示したアパートのはす向かいに公園入口があります。

桶狭間古戦場公園周辺の観光スポット

  • 桶狭間古戦場伝説地です。

    桶狭間古戦場伝説地 住所:愛知県豊明市栄町南舘11

    桶狭間合戦の主戦場であったとされるもう一つの場所が、桶狭間古戦場伝説地です。敷地内には、今川義元と家臣の戦死場所を示すという石碑が数多く残されています。桶狭間古戦場公園から1kmちょっとの距離ですので、一緒に見ておきたいところです。
  • 長福寺です。

    長福寺 住所:愛知県名古屋市緑区桶狭間427

    桶狭間古戦場公園から南へ歩いて5分ほどのところにある寺院です。今川軍が桶狭間に到来すると、長福寺の僧が率先して義元に酒食を献上したといいます。境内には桶狭間合戦の供養塔が建ち、奥には血刀濯ぎの池といわれた弁天池が見えます。