吉田城(YOSHIDA CASTLE)

吉田城 DATA

  • 別名 : 今橋城
  • 築城年 : 永正2年(1505年)
  • 築城者 : 牧野古白
  • 城の種類 : 平城
  • おもな城主 : 牧野氏、酒井氏、池田氏、松平氏

吉田城の歴史

争奪戦が繰り広げられた東三河の要衝

吉田城の歴史は、永正2年(1505年)豊川の一色城主 牧野古白によって築城された今橋城に始まります。今橋城はのちに吉田城と改名されています。

戦国時代、東三河の要衝であった吉田城を巡り、駿河の今川氏、甲斐の武田氏、三河の松平氏(徳川氏)が争奪戦を繰り広げました。

度重なる激しい攻防戦を経て、吉田城を手中に納めたのは松平氏(徳川氏)でした。永禄8年(1565年)に吉田城を攻め落とすと、酒井忠次が城代として入城しています。

天正18年(1590年)徳川家康が関東に移封されると、吉田城には豊臣秀吉配下の池田輝政が入城しました。吉田城が今日見られるような城郭に大改修されたのは、輝政の時代であったといいます。

吉田城跡の本丸・二の丸・三の丸周辺は現在、豊橋公園として整備されています。

吉田城に設けられていた堀です。
本丸と二の丸の間には広大な堀が巡らされていました。現在も本丸の周囲に見られます。
本丸と二の丸を土橋が連絡しています。
本丸の正面入口です。二の丸側から石垣造りの土橋を渡った先に本丸があります。

吉田城の見どころ

池田輝政が築いた石垣が鉄櫓下に残る

吉田城は北に流れる豊川と朝倉川を天然の堀とした半輪郭式の城で、⌈後ろ堅固の城⌋と称されています。本丸には石垣が築かれ、その周囲に空堀が巡らされていました。

石垣と空堀は現在も本丸とその周辺に残されており、見どころとなっています。石垣の中には刻印がつけられているものもあり、特に南御多門と北御多門の周辺などにいくつも見られます。

かつて本丸には四隅に4つの櫓が配され、中央に御殿が建てられていました。現在、本丸跡は広場となっており、北西隅に鉄櫓(くろがねやぐら)が再建されています。

櫓の外観はいつでも見られますが、内部に入ることができるのは日曜・祝日の10時~15時の間(年末年始除く)のみとなっています。

鉄櫓北側の石垣です。
鉄櫓の石垣は、池田輝政が築いたといわれる吉田城最古の石垣です。
北御多門跡に石垣が見られます。
北御多門は本丸の裏手側に設けられていた門です。そばには鉄三重櫓が建っています。
腰曲輪跡の石垣です。
本丸の北側には腰曲輪が設けられ、豊川方面からの攻撃に備えていました。
豊川越しに見た眺めです。
豊川越しに望む吉田城跡です。石垣が高くそびえ、守りを固めていたのが分かります。

吉田城の観光情報・交通アクセス

吉田城跡(豊橋公園)の観光情報

住所 愛知県豊橋市今橋町3
開館時間 随時
休館日 なし
入館料 なし
駐車場 あり

吉田城跡(豊橋公園)への交通アクセス

電車にて
豊橋鉄道市内線 豊橋公園前より徒歩3分
自動車にて
東名高速道路 豊川ICより20分前後

吉田城周辺の観光スポット

  • 豊橋市美術博物館です。

    豊橋市美術博物館 住所:愛知県豊橋市今橋町3-1

    豊橋公園内にある美術博物館です。館内には郷土作家の日本画・洋画などの美術品をはじめ、吉田城に関連する歴史資料も展示されており、常設展は無料で観覧できます。吉田城観光と併せてどうぞ。