安土城(AZUCHI CASTLE)

安土城 DATA

  • 別名 : ―
  • 築城年 : 天正4年(1576年)
  • 築城者 : 織田信長
  • 城の種類 : 平山城
  • おもな城主 : 織田氏

安土城の歴史

日本初の高層天主を備えた信長の城

安土城は、織田信長が天下統一に向けての拠点として琵琶湖東岸の安土山に築いた城です。天正4年(1576年)、丹羽長秀を総奉行として築城を始め、その3年後の天正7年に天主の完成をみました。

信長が掲げる⌈天下布武⌋の象徴ともいうべきこの城は、日本で初めて高層天主や高石垣が築かれた、当時として革新的な城でした。それまでの城のイメージを一変し、その後の城建築に大きな影響を与えています。

安土城築城に際して琵琶湖湖畔の地が選ばれたのは、この地(築城時に⌈安土⌋と定められる)が美濃からの中山道と伊勢からの東海道、越前からの北国街道の合流する交通の要衝であり、京へも近く、琵琶湖の水運を利用して行き来がしやすかったためと考えられています。

天正10年に起きた⌈本能寺の変⌋後まもなく、安土城の天主と本丸は何者かによって焼かれ、焼失してしまいます。その後、信長の子・信雄が羽柴秀吉との戦い(小牧長久手の戦い)に敗れると、織田氏天下の終焉とともに安土城も廃城となりました。

天主閣跡へと続く道です。
この石階段を登った先に、かつて五層七階のきらびやかな高層天主がありました。
天主跡の礎石群です。
天主跡には礎石が当時のまま残されています。これは天主の地階にあたる場所でした。

安土城の見どころ

残された無数の石垣が往時を伝える

安土城跡の見どころは、麓の大手門跡から本丸跡へと続く「大手道」です。当時の姿そのままに復元された大手道の道幅は6m(大手門跡から山腹まで)と広く、石敷側溝が設けられています。

大手道の両側には、羽柴秀吉や前田利家など織田家臣の屋敷があったと伝えられています。大手門から登ってすぐの場所に秀吉と利家の屋敷が置かれていたのは、安土城正面の守りを固めるためだったのでしょう。

大手道を登って黒金門跡を抜けると、安土城の主郭部へ入ります。主郭部に築かれた石垣は400年以上の時を経ても崩れることなく、ほぼ往時の姿を保っています。

信長公の本廟が置かれた二の丸跡と本丸御殿のあった本丸跡とともに、天主跡は安土城跡の主要な見どころとなっています。天主跡にはかつて地上6階・地下1階の高層天主がありましたが、その際の礎石が当時の姿そのままに残されています。晴れた日の天主台からの眺めは素晴らしいものです。

また安土城跡では、織田信長が城内に建立した摠見寺跡や重要文化財に指定されている二王門(楼門)、三重塔などを見ることができます。

伝羽柴秀吉邸跡です。
大手道に面したこの場所に羽柴秀吉の屋敷があったといわれています。上下2段の郭で構成されていました。
黒金門跡です。
安土城中枢部へと至る主要な入口の一つとなっていた黒金門跡です。石垣に巨石が使われていることが分かります。
信長公の本廟です。
天主閣跡の西下に広がる二の丸跡には信長公の本廟があります。羽柴秀吉が信長の遺品を埋葬して本廟としました。
摠見寺二王門です。
摠見寺二王門は安土城築城の際に信長が甲賀から移築したものと伝わります。門内の金剛力士像は応仁元年(1467年)の作です。

安土城の観光情報・交通アクセス

安土城跡の観光情報

住所 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
開館時間 季節により変動あり
休館日 なし(天候による)
入山料 500円
駐車場 あり(有料)

安土城跡への交通アクセス

電車にて
JR東海道本線(琵琶湖線)安土駅下車、徒歩25分
自動車にて

名神高速道路 八日市ICより35分前後

名神高速道路 竜王ICより40分前後

安土城周辺の観光スポット

  • No Image

    安土城天主 信長の館 住所:滋賀県近江八幡市安土町桑実寺800

    安土城天主(5階・6階部分)を原寸大で復元して展示しており、館内に入った瞬間その絢爛豪華な天主に思わず息を飲みます。天主は外観だけでなく内部の障壁画もしっかり復元されています。館内には20分の1スケールで再現された安土城の模型もあり、安土城跡とともに見ておきたい観光スポットです。
  • 安土城考古博物館です。

    安土城考古博物館 住所:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6678

    安土城考古博物館には、滋賀県内の古代遺跡や出土品を紹介するコーナーと、安土城をはじめ小谷城や観音寺城、彦根城などの城郭を紹介するコーナーがあります。また、安土城の城主 織田信長に関する資料なども展示されています。