小谷城 DATA
- 別名 : ―
- 築城年 : 大永4年(1524年)頃
- 築城者 : 浅井亮政
- 城の種類 : 山城
- おもな城主 : 浅井氏
小谷城は、浅井長政の祖父にあたる亮政が北近江守護 京極氏より自立して小谷山に築いた山城です。天正元年(1573年)に織田信長によって滅ぼされるまでの50年間、小谷城は浅井3代(亮政・久政・長政)の本拠となりました。
織田・浅井の同盟強化のため、浅井長政に嫁いだ信長の妹 お市の方もこの地に暮らし、浅井三姉妹(茶々・初・江)も小谷城で生まれました。後に徳川秀忠の正室となる江は、小谷落城の年(天正元年)に誕生しています。
小谷落城に際し、お市の方と三姉妹は落城前に城から逃れ、信長に保護されました。長政・久政親子は小谷城で抗戦するも及ばず自決し、長男の万福丸も処刑され、浅井氏は滅亡しました。
浅井滅亡後、小谷城は木下藤吉郎秀吉(のちの豊臣秀吉)の支配下に置かれます。しかし秀吉は、琵琶湖に面した今浜(現 長浜)の地に今浜城(長浜城)を築いて居城としたことから、小谷城は廃城となりました。
小谷城は日本五大山城の一つに数えられ、国の史跡にも指定されています。
~ 小谷城にまつわる逸話 ~
彦根城西の丸の三重櫓は、小谷城の天守を移築したものとする伝承があります。
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小谷城は標高495mの小谷山に築かれた典型的な山城です。建物の遺構は残されていませんが、随所に残された石垣や堀切、土塁、堅堀などから往時の姿を偲ぶことができます。
麓より尾根上に、出丸跡、金吾丸跡、番所跡、御茶屋跡、御馬屋跡、馬洗池跡、桜馬場跡、黒金門跡、大広間跡、本丸跡、中ノ丸跡、刀洗池跡、京極丸跡、小丸跡と続き、頂上に山王丸跡があります。
桜馬場(さくらのばば)は大河ドラマ⌈江~姫たちの戦国~⌋のロケ地にもなった場所で、眺めがよく、琵琶湖を一望できます。信長が陣を敷いた虎御前山を見張るのに適した場所でした。
黒金門跡を抜けると、小谷城内で最も広い大広間跡が姿を現します。大広間には御殿が建ち、江はここで生まれたと言われています。大広間の奥は石垣がめぐらされて一段高くなっており、ここが城主 長政が落城寸前まで居住していた本丸でした。
本丸跡の東下には、小谷落城時に長政が自刃したと伝わる重臣 赤尾清綱の屋敷跡があります。本丸跡の西下には御局屋敷跡があり、本丸跡の北側には尾根を大きく削った大堀切跡を見ることができます。
小谷城の詰めの丸であり、最頂部に山王権現が祀られていた山王丸の東手斜面には、大石垣が残されています。高さ5mにも及ぶもので、小谷城に残る石垣の中で最も壮大なものであり、訪れた際にはぜひ見ておきたいところです。
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小谷城跡の観光情報
住所 | 滋賀県長浜市湖北町伊部 |
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開館時間 | 随時 |
休館日 | なし |
入館料 | なし |
駐車場 | あり |
小谷城跡への交通アクセス
- 路線バスにて
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JR北陸本線 河毛駅より
コミュニティバス⌈小谷城址口⌋にて下車、徒歩すぐ
- 自動車にて
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北陸自動車道 長浜ICより15分前後
北陸自動車道 木之本ICより20分前後
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浅井歴史民俗資料館 住所:滋賀県長浜市大依町528
浅井歴史民俗資料館は、郷土学習館、七りん館、鍛冶部屋、糸姫の館の4つの施設で構成されています。郷土学習館では、浅井三代に関する展示やお市、浅井三姉妹のジオラマなどから、当時の状況を推察できます。 -
小谷城戦国歴史資料館 住所:滋賀県長浜市小谷郡上町139
小谷城戦国歴史資料館には小谷城跡から出土した遺物が展示されており、浅井長政やお市、久政などの肖像画も見ることができます。また、小谷城の絵図や曲輪を復元したイラストも展示され、小谷城の構造を詳しく知ることができます。 -
姉川古戦場 住所:滋賀県長浜市野村町・三田町
元亀元年(1570年)、浅井長政・朝倉景健連合軍と織田信長・徳川家康連合軍は姉川を挟んで布陣し、激突しました。姉川のたもとには、姉川の合戦で亡くなった人々の供養塔が建てられています。 -
長浜城 住所:滋賀県長浜市公園町10-10
かつて琵琶湖畔にあった長浜城は、羽柴秀吉が築いた自身初めての城でした。元和元年(1615年)に廃城となりましたが、現在、城跡には初期天守の様式で長浜城歴史博物館が再興されています。 -
賤ヶ岳古戦場 住所:滋賀県長浜市木之本町大音
織田信長亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権をめぐって激突した合戦の舞台となった場所です。リフトで山頂付近まで上がることができ、山頂からは琵琶湖と余呉湖を見下ろし、古戦場一帯を一望できます。
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