清洲城 DATA
- 別名 : 清須城
- 築城年 : 応永12年(1405年)
- 築城者 : 斯波義重
- 城の種類 : 平城
- おもな城主 : 織田氏、豊臣氏、福島氏、松平氏
清洲城の歴史は、尾張守護 斯波義重(しばよししげ)が下津城(尾張守護所)の別郭として築いたことに始まるといわれています。当時の清洲城は堀と土塁で囲まれた方形館でした。
弘治元年(1555年)、織田信長は主家であった清洲織田家当主 織田信友を討ち、清洲城へ入城。それまでの居城 那古野城(なごやじょう)から清洲城へ本拠を移します。
やがて信長が本能寺に没すると、後継者を決める清洲会議が清洲城で行われました。会議を経て清洲城の城主となったのは、信長の次男 信雄(のぶかつ)です。
信雄は清洲城を大改修し、天守閣を築き、巨大な城郭へと造り替えたといいます。
尾張の中心として栄えた清洲城ですが、慶長15年(1610年)、徳川家康により⌈清須越し⌋が命じられます。清洲城を廃し名古屋へ移るよう命じるもので、これにより清洲城と城下町は歴史の表舞台から姿を消しました。
~ 清洲城にまつわる逸話 ~
清洲城取り壊しによる廃材は、名古屋城の築城に再利用されました。名古屋城の西北隅櫓は清須櫓とも呼ばれ、その建築には清洲城の古材が使われたと伝わります。
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清洲城は天守閣(模擬天守)を中心に一帯が整備されています。敷地内は日本庭園となっており、西側には大手門と信長塀が、東側には搦手門が再建されています。
最大の見どころである天守閣に登りましょう。天守閣内部では、清洲城と城下町、それに関係する戦国武将などの歴史についてパネルや映像で楽しく学べます。
清洲城から五条橋を渡り、清洲公園と清洲古城跡公園にも足を延ばしたいです。かつて城の本丸があった清洲公園内には織田信長とその妻 濃姫の銅像が建ち、清洲古城跡公園には信長を祀る社や古城跡の碑が見られます。
散策に疲れたら、古城跡公園の隅にある清洲ふるさとのやかたや城内の芸能文化館で休憩するとよいでしょう。おみやげもこちらでどうぞ。
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清洲城天守閣の観光情報
住所 | 愛知県清須市朝日城屋敷1-1 |
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開館時間 | 9時~16時30分(入館は16時15分まで) |
休館日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)、12月29日~12月31日 |
入館料 | 高校生以上300円、小・中学生150円 ∗団体割引あり、幼児無料 |
駐車場 | 清須公園駐車場(無料)あり 清洲古城跡の脇にあるP4駐車場は普通車113台駐車可 |
清洲城天守閣への交通アクセス
- 電車にて
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JR東海道本線 清洲駅より徒歩15分
名鉄名古屋本線 新清洲駅より徒歩15分
東海交通事業城北線 尾張星の宮駅より徒歩20分
- 自動車にて
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名古屋第二環状自動車道 清須東ICより5分前後
名古屋高速6号清洲線 清洲出口より5分前後
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