浜松城 DATA
- 別名 : 引馬城、曳馬城
- 築城年 : 不明
- 築城者 : 不明
- 城の種類 : 平山城
- おもな城主 : 徳川氏、堀尾氏、水野氏
浜松城の前身は、今川氏の配下 飯尾氏の治める引馬城(曳馬城)という平山城でした。引馬城は浜松城の北東に位置する東照宮のあたりに築かれていたといいます。
永禄11年(1568年)、三河から遠江へ侵攻した徳川家康は引馬城へ入城。元亀元年(1570年)には本拠地を岡崎から浜松へ移しました。このとき家康は引馬城を大改修し、浜松城と改めています。
そのわずか2年後、満を持して武田信玄が遠江へ侵攻してきます。快進撃を続ける武田軍と浜松城から出陣した徳川軍は三方ヶ原で激突。徳川軍は大敗し、家康は命からがら浜松城へ戻りました。
天正14年(1586年)、家康は新たに築城した駿府城へ移ります。さらに4年後、家康が関東へ移封されると浜松城には豊臣秀吉配下の堀尾吉晴が入城しました。
浜松城の天守曲輪に天守を築いたのは、この堀尾氏であったと一般的に考えられています。
~ 浜松城にまつわる逸話 ~
三方ヶ原の戦いに敗れ、命からがら浜松城へ逃げ戻った家康は恐怖のあまり脱糞していたといいます。城に戻った家康は篝火を焚き、城門を開け放たせると、武田軍はこれを警戒し退却しました。このとき、酒井忠次が櫓門で太鼓を打ち鳴らし、味方を鼓舞したと伝えられています。
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浜松城公園として整備された浜松城跡は、天守曲輪周辺に見どころが集中しています。天守曲輪にはかつての面影を残す野面積みの石垣が多数見られ、天守台の上に天守閣が再建されています。
天守閣内部には徳川家康と浜松城に関する資料や模型が展示されており、最上階は浜松市内を360度見渡せる展望台となっています。晴れた日には富士山もよく見えるそうです。
天守曲輪のもう一つの見どころが正門たる天守門です。天守門は発掘調査で発見された遺物を基に忠実に復元されているそうで、こちらも内部を観覧できます。
天守門の東、一段下がった本丸跡には徳川家康の銅像が立っています。かつては2棟の櫓が建ち、南に鉄門があったといいますが、残念ながら遺構は見られません。
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浜松城の観光情報
住所 | 静岡県浜松市中区元城町100-2 |
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開館時間 | 8時30分~16時30分 |
休館日 | 12月29日~12月31日 |
入館料 | 高校生以上200円(天守門・天守閣共通) ∗小中学生は無料 ∗団体割引あり |
駐車場 | あり |
浜松城への交通アクセス
- 電車にて
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JR浜松駅より徒歩20分
遠州鉄道鉄道線 遠州病院駅より徒歩12分
- 路線バスにて
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JR浜松駅より
遠鉄バス⌈市役所南⌋にて下車、徒歩5分
- 自動車にて
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東名高速道路 浜松ICより25分前後
東名高速道路 浜松西ICより25分前後
新東名高速道路 浜松浜北ICより40分前後
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東照宮(引馬城跡) 住所:静岡県浜松市中区元城町111-2
かつて引馬城があったとされる場所に建っているのが東照宮です。徳川家康を祭神として祀る東照宮は、パワースポットとしても紹介されています。浜松城公園からは歩いて5分ほどの距離ですので、浜松城観光と併せてどうぞ。 -
浜松八幡宮 住所:静岡県浜松市中区八幡町2
浜松城公園から車で5分ほどのところにある徳川家康の祈願所です。三方ヶ原の戦いから逃げ戻った家康は、浜松八幡宮の境内にある楠の洞穴に身をひそめたと伝えられています。
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