高遠城 DATA
- 別名 : 兜山城
- 築城年 : 不明
- 築城者 : 不明
- 城の種類 : 平山城
- おもな城主 : 高遠氏、武田氏、保科氏、鳥居氏
高遠城は諏訪氏の支族である高遠氏の居城でした。天文14年(1545年)、高遠城は武田信玄によって攻め落とされ、以後は武田氏の支配下となりました。
高遠は諏訪から伊那へと続く交通の要衝であり、駿河や遠江へ進出するための重要な拠点でした。信玄は山本勘助に命じて高遠城を大改築しています。
天正10年(1582年)、織田信忠を総大将とする織田軍は武田の領内へ侵攻、高遠城を包囲します。高遠城城主 仁科盛信は織田軍を相手に最後まで奮戦し、城を枕に壮烈な討死を遂げたといいます。武田氏滅亡が間近に迫るなか、武田の意地を示しました。
明治を迎え、高遠城内の建物は民間に払い下げられましたが、旧高遠藩士によって桜が移植され、公園として整備されました。
スポンサーリンク
高遠城は、三峰川と藤沢川が合流する地点の高台に築かれていました。天然の地形を巧みに利用して三峰川の断崖を背に本丸が置かれ、それを二の丸、三の丸が囲むという縄張になっています。
城にはこの他にも、山本勘助に由来する勘助曲輪、本丸の南に位置する南曲輪、法幢院というお寺があった法幢院曲輪などが配置されていました。曲輪の間に築かれた空堀や土塁は比較的よく残っており、往時の城の姿を偲ばせます。
本丸跡の西南隅には、もともと搦手門近くにあった太鼓櫓が移築されています。その昔はこの太鼓櫓で太鼓を打って時を報じていたといいます。
また、高遠城址を中心に整備された高遠城址公園は、なんといっても桜の名所として知られています。⌈タカトオコヒガンザクラ⌋と命名された高遠固有の桜は、花形がやや小ぶりで赤みが強く、その美しさと規模の大きさから天下第一の桜と称されるほどです。
園内の桜は1500本にのぼり、桜の日本三大名所の一つにも数えられています。さくら名所百選にも選ばれています。開花時期にはさくら祭りが催され、毎年多くの人でにぎわいます。期間中は夜も桜がライトアップされ、その幻想的な姿に誰もが心奪われることでしょう。
スポンサーリンク
高遠城址公園の観光情報
住所 | 長野県伊那市高遠町東高遠2295 |
---|---|
開園時間 | 8時~17時 (桜開花の最盛期は6時~22時) |
休園日 | なし |
入園料 | 桜の開花宣言翌日~散り終わりまでは有料 高校生以上500円 小・中学生250円 ∗30名以上で団体割引あり |
駐車場 | あり |
高遠城址公園への交通アクセス
- 路線バスにて
-
JR飯田線 伊那市駅より
JRバス⌈高遠⌋にて下車、徒歩15分
- 自動車にて
-
中央自動車道 伊那ICより30分前後
中央自動車道 諏訪ICより45分前後
-
分杭峠(ぶんぐいとうげ) 住所:長野県伊那市長谷
日本最大の断層 中央構造線の真上にあることから、周辺一帯がゼロ磁場状態になっているといわれる話題のパワースポットです。
スポンサーリンク