松代城 DATA
- 別名 : 海津城、貝津城
- 築城年 : 永禄3年(1560年)
- 築城者 : 武田信玄
- 城の種類 : 平城
- おもな城主 : 武田氏、織田氏、上杉氏、真田氏
永禄3年(1560年)、武田信玄は北信濃侵攻のための拠点として、山本勘助に縄張りを命じて海津城を築きました。これが松代城の前身です。海津城築城の翌年には、最大の激戦となった第4次川中島合戦が勃発。妻女山に陣を張った上杉謙信と海津城の武田信玄が睨み合い、八幡原で激突しました。
海津城は北信濃を支配する上で軍事的・政治的に重要な拠点であり、武田氏滅亡後には、織田氏、上杉氏、豊臣氏、徳川氏の各家臣が入城しています。
大阪の陣を経て元和8年(1622年)、真田信之(真田昌幸の長男)がこの地に移封され、明治を迎えるまでの約250年間、この平城は松代藩真田家の居城として機能しました。なお、城の名前は3代藩主 幸道のときに松代城と改称されています。
松代城は明治に入って廃城となり建物はなくなりましたが、真田邸とともに国の史跡に指定されています。
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松代城本丸の大手口は、手前の⌈橋詰門(高麗門)⌋と奥の⌈太鼓門(櫓門)⌋の2つの門で構成されています。桝形に石垣がまわされ、本丸を厳重に守っていました。太鼓門は本丸内で最も大きな門で、その名は時を告げる太鼓を備えていたことに由来するといわれています。
橋詰門の前には橋が架かっていますが、この橋は災害等により少なくとも4回以上架け直しされたことが分かっています。太鼓門・橋詰門もその前橋も当時のものではありませんが、発見された遺物をもとに忠実に復元されています。
本丸北側の搦手には、北不明門(きたあかずもん)が復元されています。その近くには松代城内で最も高い櫓があったとされる戌亥隅櫓跡があり、ここから周囲を一望することもできます。
本丸の外側には内堀が整備され、二の丸には長大な土塁が復元されています。その土塁の一部にはトンネル状の埋門(うめもん)が造られており、土塁のこちら側とあちら側を行き来できるようになっています。
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松代城跡の観光情報
住所 | 長野県長野市松代町松代44 |
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開館時間 | 9時~17時(入場は16時30分まで) |
休館日 | 原則なし |
入館料 | 無料 |
駐車場 | あり |
松代城跡への交通アクセス
- 路線バスにて
-
JR長野駅より
川中島バス⌈松代駅⌋下車、徒歩5分
長野電鉄長野線 須坂駅・しなの鉄道 屋代駅より
長電バス屋代須坂線⌈松代駅⌋下車、徒歩5分
- 自動車にて
- 上信越自動車道 長野ICより10分前後
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真田宝物館 住所:長野県長野市松代町松代4-1
旧松代藩真田家より寄贈された真田家にまつわる宝物(武具、調度品など)を展示している博物館です。武田信玄や豊臣秀吉などの書状も展示されており、戦国ファン必見の観光スポットです。 -
真田邸 住所:長野県長野市松代町松代1
真田邸は、松代藩9代藩主 幸教が義母のために新築した御殿です。江戸末期に建てられたものであり、当時の建築様式を知ることができます。四季折々の姿を見せる庭園もすばらしいです。
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