小諸城(KOMORO CASTLE)

小諸城 DATA

  • 別名 : 酔月城、白鶴城
  • 築城年 : 天文23年(1554年)
  • 築城者 : 武田信玄
  • 城の種類 : 平山城
  • おもな城主 : 武田氏、仙石氏、徳川氏、牧野氏

小諸城の歴史

城下町よりも低い位置に築かれた穴城

小諸城は、佐久地方へ進出した武田信玄が山本勘助と馬場信房に縄張(設計)をさせて築城したものと伝わります。もともと当地には大井氏の鍋蓋城があり、これが小諸城の前身であったといわれています。

小諸城は城下町よりも低い場所に築かれていたため、穴城と呼ばれていました。本丸が一番低い場所にあり、二の丸、三の丸と高くなっていく独特の構造でしたが、千曲川が浸食した谷を天然の堀とし、鉄壁の守りを誇りました。

やがて豊臣秀吉が天下を統一すると、小諸城には仙石秀久が入城。秀久・忠政父子によって小諸城は大改修され、近代的な城郭へと変貌を遂げました。この時、城下町も整備されています。

明治維新を迎えると小諸城は廃城となりましたが、旧小諸藩士たちの手によって公園として整備され、懐古園と名付けられました。

~ 小諸城にまつわる逸話 ~

かつて天守台には三層の天守閣が建っていましたが、寛永3年(1626年)の落雷により焼失したと伝えられています。

酔月橋から見た城址の断崖です。
城の背後は急崖となっています。この傾斜では、敵もさすがに攻め込めないでしょう。
水の手展望台から望む風景です。
城址の西下に千曲川が蛇行しながら流れているのが見えます。

小諸城の見どころ

自然石を用いた野面積みの石垣が残る

小諸城址 懐古園は、本丸跡と二の丸跡を中心に整備されています。堀や石垣が見られる園内を散策しながら、当時の城の姿に思いを馳せるのも楽しいでしょう。

本丸跡には懐古神社が建ち、その後ろには仙石氏の時代に築かれた天守台が残されています。苔むした野面積みの石垣が印象的で、秋には周囲の木々が色づき石垣を一層引き立てます。

小諸城址の顔として知られる三の門は、明和2年(1765年)に再建されたものです。門の正面には、徳川16代 徳川家達(とくがわいえさと)の手によって書かれた⌈懐古園⌋の扁額が掲げられています。

小諸城の表玄関となっていた大手門は、懐古園から歩いて4~5分の場所(線路の反対側)にあります。大手門は五軒幅の櫓門で、慶長17年(1612年)の建築と記録されています。当時は瓦葺の屋根が珍しかったため、瓦門とも呼ばれていたそうです。

他にも、小諸城ゆかりの品を展示している徴古館や文豪 島崎藤村の資料を展示している藤村記念館などがあり、動物園や遊園地も併設されています。

天守台の石垣です。
城跡には天守台が残されています。石垣は自然石を使用した野面積みで、隅部は算木積みとなっています。
かつて二の丸があった場所です。
第二次上田合戦の際、徳川秀忠は真田父子の策により足止めされ、この二の丸に逗留していたといいます。
懐古神社です。
本丸跡には懐古神社が建っています。旧小諸藩士によって創建されたもので、城の鎮守として祀られています。
山本勘助愛用の鏡石です。
山本勘助が愛用したと伝わる鏡石が懐古神社の境内に残されています。鏡のように後ろの紅葉を映していますね。
懐古園園内の光景です。
城址全体が紅葉に包まれる秋がベストシーズンでしょうか。散策に疲れたら、東屋で休憩していきましょう。
小諸城大手門の堂々たる姿です。
小諸城大手門は、慶長17年(1612年)に築かれたものと伝わります。小諸城の正門として400年余りの時を刻んでいます。

小諸城の観光情報・交通アクセス

小諸城址(懐古園)の観光情報

住所 長野県小諸市丁311
開園時間 8時30分~17時
休園日 12月~3月中旬までの毎週水曜日、年末年始
入園料 散策券 大人300円 中学生以下100円
共通券 大人500円 中学生以下200円 ∗団体割引あり
散策券は園内散策・動物園を利用可。共通券は左記に加え、徴古館・藤村記念館・小山敬三美術館・小諸義塾記念館のすべてを利用可。
駐車場 あり(有料)

小諸城址(懐古園)への交通アクセス

電車にて
JR小海線・しなの鉄道 小諸駅下車、徒歩3分
自動車にて
上信越自動車道 小諸ICより6分前後

小諸城周辺の観光スポット

  • 小諸宿本陣主屋です。

    小諸宿本陣主屋 住所:長野県小諸市大手1-6-14

    江戸時代、参勤交代の際に大名が宿泊したという小諸宿本陣主屋が小諸駅近くに再現されています。内部では城下町や小諸宿の資料・ジオラマなどを見ることができます。小諸城址の大手門へ向かう際、あわせてどうぞ。なお、冬季(11月~3月頃まで)は休館となります。