善光寺
⌈一生に一度は善光寺参り⌋という言葉で有名な善光寺は、飛鳥時代の皇極天皇元年(642年)に創建されたものと伝えられています。その本堂は今日までの間に十数回もの火災に見舞われてきました。
善光寺は宗派・身分にかかわらず誰でもお参りできる寺であり、古来より広く庶民の信仰を集めてきました。⌈牛にひかれて善光寺参り⌋など、善光寺に関する多くの説話も残されています。
善光寺への崇敬は戦国大名も例外でなく、武田氏も善光寺を篤く信仰し、信玄の父 信虎も戦乱の中にあって2度参詣したと伝えられています。
また、信玄は川中島の合戦によって善光寺が焼失してしまうことを惜しみ、本尊善光寺如来をはじめとした善光寺の仏像・仏具の大半を甲府に移して甲斐善光寺を創建しました。
武田滅亡後、本尊は織田信長の手に渡り、その後は徳川家康、豊臣秀吉の手を渡ってのちに善光寺へ戻されました。
上杉謙信も第2次川中島の戦いの後、善光寺より寺宝を越後へ持ち帰って浜善光寺を創建しています。このとき持ち帰られたものの多くは、山形県米沢市の法音寺に移されました。
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善光寺本堂へと続く参道の中ほどには、最初の門である仁王門が建っています。大正7年(1918年)に再建されたこの門には善光寺の山号である⌈定額山⌋が掲げられ、2体の仁王像が睨みをきかせています。
仁王門の左手にあるのは、皇室ゆかりの尼寺である大本願です。善光寺の入口に位置するこの寺は、善光寺の創建当初からともに歴史を歩んできました。
仁王門をくぐって仲見世通りを進んでいくと山門(三門)を目にします。寛永3年(1750年)に建立された入母屋造りの門で、上層の正面には⌈善光寺⌋の額が掲げられています。額の中の⌈善⌋の字は、牛の顔に見えるとも言われています。
この山門の左手には、大本願と並ぶもう一つの本坊である大勧進があります。大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の住職とともに善光寺の住職を務めています。
善光寺の本堂は、本尊を祀る仏堂と参拝者が礼拝に訪れる礼堂(らいどう)が繋がった撞木(しゅもく)造りと呼ばれる形式で建てられています。現在の本堂は宝永4年(1707年)に再建されたもので、国宝建造物の中で東日本最大、檜皮葺建造物の中では日本最大規模となるものです。
善光寺に参詣した折には、ぜひ⌈お戒壇巡り⌋も体験しておきたいところです。本堂の床下にある真っ暗な回廊を進み、御本尊の下に架かる極楽の錠前に触れると極楽に行けると言われています。
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善光寺の観光情報
住所 | 長野県長野市元善町491 |
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拝観時間 (本堂内陣・お戒壇巡り・善光寺資料館) |
5時30分~16時30分(月ごとに異なる) 境内は終日参拝可能 |
休館日 | なし |
拝観料 (本堂内陣・お戒壇巡り・善光寺資料館) |
大人・大学生500円 高校生200円 中学・小学生50円 未就学児無料 |
駐車場 | 善光寺第1~第5駐車場あり(有料) |
善光寺への交通アクセス
- 路線バスにて
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JR長野駅より
善光寺口バスロータリー1番乗り場発の路線バス⌈善光寺大門⌋にて下車、徒歩5分
- 自動車にて
- 上信越自動車道 長野IC・須坂長野東ICより40分前後
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松代城跡 住所:長野県長野市松代町松代44
松代城の前身は、武田信玄が軍師 山本勘助に命じて築いた海津城です。川中島の戦いの際、武田軍の拠点となりました。門や土塁、堀などが復元されています。 -
八幡原史跡公園 住所:長野県長野市小島田町1384-1
武田信玄と上杉謙信が激突した川中島の戦いの舞台となった場所です。古戦場は公園として整備されており、有名な一騎打ちの像や首塚、執念の石などを見ることができます。
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