武田八幡宮
武田八幡宮は弘仁13年(822年)の創立と伝わり、古くから甲斐源氏によって崇敬されてきた神社です。甲斐武田氏の祖であり甲斐源氏の総領となった武田信義は、武田八幡宮を氏神とあがめ、この地に居館を構えたといいます。
時は流れて天文10年(1541年)、父である信虎を追放して家督を継いだ武田信玄は、武田八幡宮の本殿を再建しました。現在もその本殿は残されており、当時の建築様式を伝える遺構として国の重要文化財に指定されています。
信玄から勝頼の代となり、武田氏が織田信長の侵略にあって滅亡を間近としていた頃、勝頼の夫人が切々と戦勝を祈念して奉納したと伝わる願文も当社に納められています。
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武田八幡宮には3つの鳥居があります。なかでも、神社の総門前に構えられた⌈石鳥居⌋は室町時代に造られたものとされ、参道の途中に立つ⌈二の鳥居⌋は元禄14年(1701年)に建てられたものといわれています。どちらも県指定の有形文化財です。
武田信玄が再建したと伝わる本殿は拝殿の奥にあります。三間社流造(さんげんしゃながれづくり)・桧皮葺(ひわだぶき)で装飾的な意匠にすぐれた本殿は、室町期の特色を示す貴重な建造物です。
毎年秋には豊作と収穫を感謝する武田八幡宮の例大祭が行われ、神社周辺は御輿や出店で賑わいます。
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武田八幡宮の観光情報
住所 | 山梨県韮崎市神山町北宮地1185 |
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拝観時間 | 随時 |
休館日 | なし |
拝観料 | なし |
駐車場 | あり |
武田八幡宮への交通アクセス
- 路線バスにて
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JR中央本線 韮崎駅より
韮崎市民バス円野線⌈武田八幡入口⌋にて下車、徒歩5分
- 自動車にて
- 中央自動車道 韮崎ICより15分前後
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願成寺 住所:山梨県韮崎市神山町鍋山1111
願成寺は武田信義の菩提寺です。奈良時代後期に開かれ、平安時代末期に信義によって中興されました。山号の⌈鳳凰山⌋は、後白河法皇から賜ったものと伝えられています。織田軍の甲州征伐に際して願成寺も焼失し、復興後の慶長12年(1607年)にも寺から出火したといいます。しかし、信義が寄進した木造阿弥陀三尊は焼失を免れ、今日に至っています。境内には、信義の墓と伝わる鎌倉期の様式で建てられた五輪塔があります。 -
武田信義館跡 住所:山梨県韮崎市神山町武田
願成寺から北西の方角に歩いていくと武田信義館跡があります。信義の館はおよそ250m平方の土地にあったとされ、その土地には現在、民家や耕地が入り混じっています。残念ながら遺構は残されていませんが、土塁の一部が現存しています。武田八幡宮を訪れた際には、願成寺とともに散策してみるとよいでしょう。
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