頼重院
頼重院は、諏訪大社上社の大祝(おおほうり)を代々務める諏訪氏の総領 諏訪頼重の菩提寺として創建されました。
天文11年(1542年)、武田信玄との戦に敗れた頼重は甲府にて無念のうちに自害。頼重の首はこの寺に埋葬されたとも伝えられています。
境内の古い石塔の中からは頼重の供養塔が発見されています。これは頼重の菩提を密かに弔ったものと考えられています。
また境内では、武田氏に滅ぼされた頼重の凄まじい怨念が砕いたと伝わる「割石」などを見ることができます。
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頼重院の観光情報
住所 | 長野県諏訪市大字四賀神戸3433 |
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駐車場 | あり |
頼重院への交通アクセス
- 電車にて
- JR中央本線 茅野駅下車、徒歩30分
- 自動車にて
- 中央自動車道 諏訪ICより10分前後
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頼岳寺 住所:長野県茅野市ちの上原1753
頼岳寺は寛永8年(1631年)、高島藩の初代藩主 諏訪頼水(すわよりみず)が開基した曹洞宗の寺です。諏訪氏の当主となった頼水は武田信玄に敗れた諏訪頼重のいとこの子供で、諏訪氏を再興しました。本堂右後方には頼水とその父母がまつられた御廟(ごびょう)があります。
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