甲府五山(長禅寺・東光寺・能成寺・円光院・法泉寺)

武田信玄は、京五山や鎌倉五山にならって、甲府の5つの寺院(長禅寺、東光寺、能成寺、円光院、法泉寺)を⌈甲府五山⌋と定めました。これらはみな、臨済宗に帰依した信玄とゆかりの深い寺院です。

長禅寺 CHOZENJI

⌈長禅寺⌋は武田信玄の母 大井夫人の菩提寺で、大井夫人が招いた禅僧 岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)によって開かれました。この臨済宗妙心寺派の古刹は甲府五山の筆頭であり、境内には大井夫人の墓もあります。

信玄は、この岐秀元伯から儒学や修禅、治国の基本を学びました。また出家の際、⌈信玄⌋の法名を授けたのも元伯であったと言われています。

長禅寺です。
ここ長禅寺で武田信玄は出家、剃髪したと伝わります。
所在地 山梨県甲府市愛宕町208

東光寺 TOKOJI

東光寺は、鎌倉中期の名僧である蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)によって再興された臨済宗の古刹です。広さ450坪ほどの東光寺庭園は、山梨県の名勝にも指定されています。

仏殿は、天正10年(1582年)の織田信長の兵火も昭和20年(1945年)の戦災をも逃れ、その美しい姿を今に伝えています。建立年次は明らかでありませんが、様式から室町時代の建築と考えられています。

東光寺には、武田信玄の嫡男・義信と諏訪頼重の墓があります。武田氏に捕えられた諏訪頼重はこの寺院に幽閉され、切腹したのでした。

東光寺です。
東光寺には武田義信と諏訪頼重が眠っています。
所在地 山梨県甲府市東光寺3-7-37

能成寺 NOJOJI

能成寺は、武田信虎(信玄の父)の曽祖父・武田信守の菩提寺です。武田信守に招かれた名僧・業海本淨禅師によって開かれました。

もともとは八代郡(現:笛吹市)にあり、信玄の時代に府中西青沼(現在の甲府市宝町)に移され、甲府城築城の際に現在の場所に移されたと伝えられています。

境内には、松尾芭蕉の句碑など多くの碑があり、赤穂藩の家老・大野九郎兵衛と伝えられる墓もあります。

所在地 山梨県甲府市東光寺町2153

円光院 ENKOIN

円光院は元々、武田信玄の先祖である逸見太郎清光が小石和(現在の笛吹市石和町)に創建したもので、のちに信玄が現在の場所に移しました。躑躅が崎の東にあり、展望に恵まれたこの寺院の環境を信玄は好んだといいます。

円光院は、武田信玄の正室・三条夫人の菩提寺です。三条夫人は16歳で信玄の正室となり、信玄との間に長男の義信、次男の竜芳、三男の信之、長女の黄梅院(北条氏政の正室)、次女の見性院(穴山梅雪の正室)をもうけました。

円光院という寺院名は、三条夫人が亡くなり当院に葬送された時の法名に由来しています。

所在地 山梨県甲府市岩窪町500-1

法泉寺 HOSENJI

法泉寺は、南北朝時代の甲斐国主・武田信武(武田家の第10代当主)が夢窓国師の高弟・月舟周勲を招いて創建した寺院です。武田信武と信玄の4男・武田勝頼の菩提寺であり、境内にはそれぞれの墓があります。

織田の来襲と家臣の離反により天目山を目前に最後を遂げた勝頼の首級は、織田信長の命で京にてさらし首とされましたが、法泉寺の快岳禅師が持ち帰って葬ったと伝えられています。

所在地 山梨県甲府市和田町2595