宇都宮城 DATA
- 別名 : 亀ヶ岡城
- 築城年 : 平安時代後期(11世紀頃?)
- 築城者 : 藤原秀郷または藤原宗円
- 城の種類 : 平城
- おもな城主 : 宇都宮氏、本多氏、戸田氏
関東七名城の一つに数えられる宇都宮城の歴史は、平安時代までさかのぼるといわれています。当初は城というより館であったようです。
鎌倉時代以降、およそ500年ものあいだ宇都宮一帯を支配してきたのは宇都宮氏でした。中世の宇都宮は、京都・鎌倉とともに日本三大歌壇と呼ばれるほど和歌が盛んな土地であったといいます。
戦国時代には上杉氏、武田氏、小田原北条氏らに攻め込まれましたが、常陸の佐竹氏、下総の結城氏らと婚姻関係を結びこれに抗しました。天正13年(1585年)頃には小田原北条氏の侵攻に対抗すべく、当時の城主 宇都宮国綱は本拠を宇都宮城から多気城に移しています。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げて行われた宇都宮仕置ではその舞台となり、宇都宮氏は所領を安堵されました。しかしそのわずか7年後、秀吉により突如領地を没収され、ここに宇都宮氏は滅亡しました。
江戸時代に入ると譜代大名が代々、宇都宮城の城主をつとめました。その中で、宇都宮城と城下町を大規模に造り変えたのが本多正純です。本丸には将軍が宿泊する御成御殿が建てられ、将軍が日光に参詣する際には宇都宮城に宿泊したと伝えられています。
宇都宮城は幕末の戊辰戦争のおり焼失してしまい、堀も埋められ土塁も崩されてしまいました。しかし、およそ140年の時を経て、城の一部が江戸時代の姿に忠実に復元されました。
~ 宇都宮城にまつわる逸話 ~
宇都宮城にまつわる逸話として、釣天井事件が伝えられています。元和8年(1622年)、本多正純が御成御殿に釣天井を作って徳川将軍暗殺を企てたというものです。しかしこれは事実ではなく、正純が出羽国へ流罪となったことから創作されたものといわれています。
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宇都宮城址公園の土塁上は歩けるようになっており、清明台と富士見櫓という2つの櫓が再建されています。どちらの櫓も建物内に入って見ることができます。(2階部分は毎月第3日曜日のみ見学可能です。)
城址公園の南側には、二の丸と三の丸をつないでいたという土橋の石垣が復元されています。本物は地下に保存されているため目にすることはできませんが、二の丸と三の丸のだいたいの位置がつかめます。
宇都宮城ものしり館には宇都宮城と城下町の模型などが展示されており、対面にあるまちあるき情報館では宇都宮市内の観光情報を入手できます。
また、城址公園内には4種類の桜(河津桜、大山桜、ソメイヨシノ、しだれ桜)が植えられており、春にはタイミングをずらしてそれぞれ違った花で楽しませてくれます。
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宇都宮城址公園の観光情報
住所 | 栃木県宇都宮市本丸町 |
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開館時間 | 土塁上と櫓、宇都宮城ものしり館、まちあるき情報館、清明館歴史展示室は9時~19時 |
休館日 | 年末年始 |
入館料 | なし |
駐車場 | あり(無料) |
宇都宮城址公園への交通アクセス
- 電車にて
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JR宇都宮駅より徒歩20分
東武宇都宮線 東武宇都宮駅より徒歩10分
- 路線バスにて
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JR宇都宮駅より
関東バス市内循環線(きぶな)⌈宇都宮城址公園入口⌋にて下車、徒歩2分
東武宇都宮線 東武宇都宮駅より
東野バス宇都宮東武行き⌈本丸西通り⌋または⌈城址公園南⌋にて下車、徒歩すぐ
- 自動車にて
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東北自動車道 鹿沼ICより20分前後
東北自動車道 宇都宮ICより25分前後
北関東自動車道 宇都宮上三川ICより20分前後
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二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ) 住所:栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
二荒山神社は下野国一の宮として篤く信仰され、古くは宇都宮大明神と称された由緒ある神社です。宇都宮氏の当主は二荒山神社の社務職を兼ねていました。中世には、源頼朝や徳川家康をはじめ、多くの武将が戦勝祈願に訪れたと伝えられています。 -
飛山城跡(飛山城史跡公園) 住所:栃木県宇都宮市竹下町
飛山城は、宇都宮氏の重臣 芳賀氏の居城です。北と南に鬼怒川が流れる丘の上に築かれ、堀と土塁を幾重にもめぐらせて防備していました。城跡は現在、飛山城史跡公園として整備されており、将兵の詰所とされる建物なども復元されています。
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