名胡桃城 DATA
- 別名 : ―
- 築城年 : 室町時代
- 築城者 : 名胡桃氏
- 城の種類 : 山城
- おもな城主 : 真田氏
名胡桃城の歴史は、沼田氏の一族である名胡桃氏が居館を築いたことに始まります。名胡桃氏の居館は、般若郭(現在の駐車場のあたり)にあったといいます。
天正7年(1579年)、武田家臣であった真田昌幸は主君の命を受け名胡桃館を攻略し、名胡桃城を築きます。真田氏は翌年、調略により沼田城も手中に納めています。
その後10年の歳月が過ぎ、天下統一に歩を進める豊臣秀吉は小田原北条氏に上洛を促していました。北条方は交換条件として、真田領となっていた利根・吾妻の割譲(明け渡し)を要求します。
これに対し秀吉は、沼田城を含む利根川以東は北条領に、名胡桃城を含む利根川以西(赤谷川の左岸)は真田領にという裁定を下しています。
しかし間もなく、沼田城に入城した北条方の猪俣邦憲が名胡桃城を奪取するという事件が勃発。私戦を禁じた総無事令に違反する行いに秀吉は激怒し、小田原北条氏に対し宣戦布告。名胡桃城を巡るこの事件が、豊臣氏による小田原征伐のきっかけとなりました。
~ 名胡桃城にまつわる逸話 ~
名胡桃城の城代となった鈴木主水は、北条方の謀略に乗せられました。偽りの書状で城外へおびき出され、寝返った家臣に城を奪われたのです。鈴木主水は不覚を恥じ、沼田城下の正覚寺で腹を切ったと伝わります。
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名胡桃城は、利根川西の段丘面に築かれた小さな城でした。しかし真田氏にとってこの城は、沼田城に対する前線基地として重要な拠点だったと考えられます。
本郭、二の郭、三の郭をはじめとした郭が直線的に配置され、それぞれの郭間には堀切を設け、土橋や木橋を架けて連絡していました。城跡にはこれら堀切や土橋が見られ、丸馬出や食違い虎口などが設けられていた場所に標識が建っています。
名胡桃城跡の入口そばに無料案内所がありますので、まずそちらで情報収集してから散策するとよいでしょう。
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名胡桃城址の観光情報
住所 | 群馬県利根郡みなかみ町下津3437 |
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開館時間 | 随時 |
休館日 | なし |
入館料 | なし |
駐車場 | あり |
名胡桃城址への交通アクセス
- 電車にて
-
上越新幹線 上毛高原駅よりタクシーで7分前後
JR上越線 後閑駅よりタクシーで7分前後
- 自動車にて
- 関越自動車道 月夜野ICより5分前後
-
沼田城跡(沼田公園) 住所:群馬県沼田市西倉内町594
沼田城は、平安時代末期より当地域を支配した沼田氏によって築かれ、のちに真田氏五代の居城となった城です。真田信幸(信之)が初代沼田城主となり、城に五層の天守閣を築きました。現在、城跡は沼田公園として親しまれています。
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