金山城(KANAYAMA CASTLE)

金山城 DATA

  • 別名 : ―
  • 築城年 : 文明元年(1469年)
  • 築城者 : 岩松家純(新田家純)
  • 城の種類 : 山城
  • おもな城主 : 岩松氏、由良氏、小田原北条氏

金山城の歴史

由良氏の時代に全盛を迎えた石垣の城

金山城は文明元年(1469年)、岩松家純いわまついえずみ(新田家純)の命により築城されました。築城当初は実城(本丸)とその周辺(二の丸・三の丸)程度の小規模なものだったようです。

その後、岩松氏(新田氏)の重臣であった横瀬氏が下剋上によって金山城の城主となります。横瀬氏はやがて由良氏と姓を改め、この時代に金山城は全盛期を迎えました。

しかし天正12年(1584年)、当時の金山城主であった由良国繁ゆらくにしげとその弟が小田原北条氏の小田原城に軟禁されるという事態に陥りました。由良国繁の母 妙印尼みょういんにと家臣は城に籠って抗戦しますが、間もなく小田原北条氏に降伏し、城を明け渡しています。

天正18年(1590年)、小田原北条氏の滅亡とともに金山城は廃城となりました。

金山城跡の碑が見えます。
金山城跡は整備されており、ハイキングに最適です。案内板を参考にしながら散策しましょう。
物見台からの眺めです。
物見台からは周囲をよく見渡せます。かつて上杉謙信が金山城を攻めた際には、物見台から死角になる場所に陣を取ったといいます。

金山城の見どころ

大手虎口に見られる石積みや土塁石垣

金山城は、実城、西城、北城、八王子山ノ砦という4つの主要部からなる山城です。中世の関東地方には珍しく、石を多用した総石垣の山城でした。

実城(本丸)を目指して歩いていくと、やがて復元整備された大手虎口にたどり着きます。通路は石敷き、両側には石積みが築かれ、正面には土塁石垣が雄々しくそびえ立っているのが見えます。この一帯は金山城の象徴ともいえる見どころです。

大手虎口の南側上段にある曲輪からは石敷き建物の基礎や井戸、カマドの跡が発見されており、それぞれ各所に再建・展示されています。建物は武器庫や兵の詰め所として使用されていたようです。

大手通路の先にあるのが、⌈日の池⌋と呼ばれる石敷きに囲まれた池です。この池は籠城時の水を確保する貯水池としてだけでなく、儀式を行う神聖な池として用いられていたようです。なお、大手虎口の手前にも⌈月の池⌋と呼ばれる池があります。

大手通路正面の土塁石垣です。
大手通路正面の土塁石垣です。金山城の土塁は石垣で形成されていました。
日の池と呼ばれる大池です。
日の池は、戦勝祈願や雨乞いの儀式が行われた神聖な池と考えられています。

金山城跡には4つの堀切が設けられていました。中でも特徴的なのは一番西側に位置する西矢倉台西堀切です。堀切の底に石が敷かれ通路となっていました。また、馬場曲輪と三の丸の間に設けられた大堀切は城内最大規模の堀切となっています。

大手虎口近くの南曲輪には休憩所が設けられており、金山の麓から金山城跡へのハイキングコースも複数整備されています。一部に険しい道もありますので、注意して散策を楽しんでください。

城跡に堀切が残されています。
4つの堀切のうち一番西側にある西矢倉台西堀切です。堀切の底には石が敷かれ、通路として使用されていたことが分かっています。
土橋と物見台下虎口です。
物見台下の堀切に土橋が架かっています。正面に見える虎口には石積みがそびえ、奥が見通せないようになっています。
石垣の上に馬場曲輪があります。
柵で囲われているのが馬場曲輪です。曲輪には四阿(あづまや)が建てられ、手前には石階段や石垣が整備されています。
鳥居の先に新田神社の拝殿が見えます。
実城(本丸)には、新田義貞を祀る新田神社が創建されています。かつては城主の御殿が建てられていました。

金山城の観光情報・交通アクセス

金山城跡の観光情報

住所 群馬県太田市金山町
開館時間 随時
休館日 なし
入館料 なし
駐車場 あり

金山城跡への交通アクセス

電車にて
東武鉄道 太田駅より徒歩1時間10分
自動車にて

北関東自動車道 太田桐生ICより10分前後

東北自動車道 館林ICより40分前後

関越自動車道 花園ICより50分前後

金山城周辺の観光スポット

  • 金龍寺です

    金龍寺 住所:群馬県太田市金山町40-1

    のちに金山城の城主となった横瀬氏の祖 横瀬貞氏が新田義貞を追善供養するため創建したと伝えられ、横瀬氏の菩提所として栄えました。本堂の裏手には、新田義貞の供養塔と由良氏の五輪塔があります。
  • 大光院です。

    大光院 住所:群馬県太田市金山町37-8

    徳川家康が新田義重を追善供養するため創建したとされる古刹です。本堂は創建時のもので、大改修を経て今日に至っています。本堂の前には、臥龍松と呼ばれる呑龍上人お手植えの黒松が見られます。