岩櫃城(IWABITSU CASTLE)

岩櫃城 DATA

  • 別名 : ―
  • 築城年 : 不明
  • 築城者 : 不明
  • 城の種類 : 山城
  • おもな城主 : 吾妻氏、斉藤氏、真田氏

岩櫃城の歴史

武田三大山城の一つに数えられる堅城

⌈加沢記⌋という文献によれば、岩櫃城いわびつじょうは斉藤憲行が築いたとされています。しかし、いつ誰が築城したのか正確なところは分かっていません。

永禄6年(1563年)、真田幸隆は主君 武田信玄の命を受け岩櫃城を攻めます。当時の城主であった斉藤憲広は必死に抗戦しますが、ついに落城。武田氏は岩櫃城を手にしました。

岩櫃城には真田幸隆が置かれ、幸隆亡き後には家督を継いだ嫡男 信綱が城主となります。信綱が長篠の戦いで討死すると三男 昌幸が家督を相続し、やがて昌幸の嫡男 信幸が城主となっています。

武田氏滅亡後、岩櫃城は真田氏の上州進出に重要な役割を果たしました。なお、真田幸村も少年時代をこの山城で過ごしたと伝わります。

元和元年(1615年)、一国一城令により岩櫃城は取り壊され、その役目を終えました。

~ 岩櫃城にまつわる逸話 ~

織田軍に攻められ、新たに築いた新府城を捨てた武田勝頼に対し、真田昌幸は自身の岩櫃城に入り再起を図るよう促しています。しかし勝頼は岩殿山城へ向かい、小山田氏の裏切りにあって自刃を遂げたのでした。

岩櫃城の見どころ

本丸の下に竪堀や堀切が見られる

岩櫃城は、吾妻川の北にそびえる岩櫃山いわびつやまに築かれた城です。通常の山城と異なり、山の中腹に本丸や二の丸、中城といった中枢部が築かれていました。

城跡にはところどころに案内板が建てられており、かつての城を想像しながら歩くとよいでしょう。見どころは、本丸下に残された長大な竪堀と堀切です。

本丸に建物の遺構はなく、岩櫃城址の碑が建つのみです。かつてはここに城主の館があったのでしょう。本丸周辺からは眺めもよく、眼下に吾妻川を見下ろします。

登山道は複数整備されており、新緑や紅葉の季節にハイキングに訪れる人も多いようです。

登山口に岩櫃城跡の碑が建っています。
岩櫃城跡へは、岩櫃山北東側の登山口(一本松)から登るのがおすすめです。
斜面
岩櫃山は吾妻八景を代表する景勝地です。秋には山上の木々が鮮やかに色づきます。
城跡に設けられた堀切です。
本丸と二の丸の間には堀切が設けられています。斜面を登った先が本丸跡です。
本丸北虎口跡跡です。
本丸には南北2つの虎口(出入口)があったといいます。こちらは北枡形虎口です。

岩櫃城の観光情報・交通アクセス

岩櫃城の観光情報

住所 群馬県吾妻郡東吾妻町原町
開館時間 随時
休館日 なし
入館料 なし
駐車場 登山口近くに無料駐車場あり

岩櫃城への交通アクセス

電車にて
JR吾妻線 群馬原町駅より登山口まで徒歩40分前後
自動車にて
関越自動車道 渋川伊香保ICより1時間前後

岩櫃城周辺の観光スポット

  • No Image

    岩櫃城温泉くつろぎの館 住所:群馬県吾妻郡東吾妻町大字原町1046

    城の姿を模した建物が特徴的な町営の温泉センターです。露天風呂もあり、ゆっくりとくつろげます。料金は大人400円(3時間)とお手頃です。岩櫃城跡に登った帰りに汗を流していかれては如何でしょう。