長浜城 DATA
- 別名 : 今浜城
- 築城年 : 天正2年(1574年)頃
- 築城者 : 羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)
- 城の種類 : 平城
- おもな城主 : 羽柴氏、柴田氏、山内氏、内藤氏
浅井攻めの功績から浅井の旧領・湖北三郡を与えられた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、天正2年(1574年)、琵琶湖に面した今浜(現 長浜)の地に自身初めての城を築きました。これが秀吉の出世城として名高い長浜城です。
秀吉は築城とともに今浜の地名を長浜と改め、城下町を小谷から当地へ移しています。これは、秀吉が琵琶湖の舟運を重視していたためと考えられています。
天正10年(1582年)の清州会議を経て、長浜城は柴田勝家のものとなり甥の勝豊が入城しますが、間もなく秀吉に攻められて落城しました。
その後は天正13年(1585年)から5年ほど山内一豊が城主となり、慶長11年(1606年)には徳川家康の異母弟とされる内藤信成が城主となっています。そして元和元年(1615年)、長浜城は廃城となりました。
長浜城の建物や石垣の多くは彦根城などに運ばれて利用されたといいます。
~ 長浜城にまつわる逸話 ~
長浜城築城の際、強固な城を築くため、長浜一の美女と評判であった⌈おかね⌋さんがその人柱に選ばれ、自らの命を捧げたという伝説が残されています。⌈おかね⌋さんが眠る辺りの堀は、⌈おかね掘⌋と呼ばれていました。
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現在の長浜城は、2層の大屋根に望楼をのせた初期天守の様式で昭和58年に再興されたものです。城内は長浜城歴史博物館となっており、秀吉と長浜の歴史、文化について詳しく知ることができます。また、5階のパノラマ展望台からは琵琶湖や長浜市街が一望できます。
長浜城跡に作られた豊公園は、豊臣秀吉にちなんで名づけられたものであり、春には城を取り囲むように桜が満開となります。豊公園は、日本さくら名所100選の一つに数えられています。
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長浜城の観光情報
住所 | 滋賀県長浜市公園町10-10 |
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開館時間 | 9時~17時(入館は16時30分まで) |
休館日 | 年末年始(12月27日~1月2日) ∗臨時休館あり |
入館料 | 高校生以上400円 中学・小学生200円 ∗20名以上で団体割引あり ∗長浜市・米原市の小中学生は無料 ∗身体障害者(身体障害者手帳等お持ちの方)は無料 |
駐車場 | あり(豊公園大駐車場を利用) |
長浜城への交通アクセス
- 電車にて
- JR北陸本線 長浜駅下車、徒歩7分
- 自動車にて
- 北陸自動車道 長浜ICより15分前後
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小谷城跡 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部
浅井3代(亮政・久政・長政)の本拠となった山城です。義兄の織田信長に攻められた長政は奮戦するも及ばず、小谷城内で自刃して果てました。城跡には土塁や石垣、堀切などが残されており、往時を偲ばせます。 -
賤ヶ岳古戦場 住所:滋賀県長浜市木之本町大音
織田信長亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権をめぐって激突した合戦の舞台となった場所です。リフトで山頂付近まで上がることができ、山頂からは琵琶湖と余呉湖を見下ろし、古戦場一帯を一望できます。 -
姉川古戦場 住所:滋賀県長浜市野村町・三田町
元亀元年(1570年)、浅井長政・朝倉景健連合軍と織田信長・徳川家康連合軍は姉川を挟んで布陣し、激突しました。姉川のたもとには、姉川の合戦で亡くなった人々の供養塔が建てられています。 -
竹生島(ちくぶしま) 住所:滋賀県長浜市早崎町
竹生島は琵琶湖北部に浮かぶ周囲約2㎞ほどの島で、古くから神のすむ島として信仰を集めてきました。琵琶湖八景の一つにも数えられる竹生島は、近年、パワースポットとしても注目されています。竹生島へは、長浜港、彦根港、今津港から船で行くことができます。
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