賤ヶ岳古戦場
天正10年(1582年)、山崎の地で明智光秀を討ち滅ぼした羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、日に日に発言力を増していきました。自身に反旗を翻した織田信孝(織田信長の三男)を岐阜城を包囲して降伏させ、その後も滝川一益の伊勢長島城を攻めています。
こうした秀吉の動きに激怒したのが織田家の重臣 柴田勝家です。越前北ノ庄城にいた勝家は冬のあいだ大雪で身動きが取れませんでしたが、3月になると北近江に出陣しました。
両軍しばらくにらみ合いが続きましたが、柴田方の佐久間盛政が秀吉の不在を知り、中川清秀が守る大岩山砦を急襲。これを攻略しました。
大岩山の敗報を大垣(岐阜県大垣市)で聞いた秀吉は、すぐさま北近江に向けて急行し、その日の夜半には木之本に着陣。退却する佐久間盛政を賤ヶ岳で討ちました。
このとき大きな武功をあげたのが、賤ヶ岳七本槍と称される秀吉の家臣(福島正則、加藤清正、片桐且元、脇坂安治、加藤嘉明、平野長泰、糟屋武則)です。
佐久間盛政を失った柴田軍はなお奮戦するも敗色が濃くなり、勝家は北ノ庄城へ敗走。妻となっていたお市の方とともに自刃して果てました。
~ 賤ヶ岳の戦いにまつわる逸話 ~
賤ヶ岳合戦での柴田軍の敗戦は、佐久間盛政が慢心し敵陣深くに攻め入りすぎたことが原因といわれています。これに対し、柴田軍敗戦を決定づけたのは前田利家の裏切り(戦線離脱)であったとする見方もあります。
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賤ヶ岳山麓からは賤ヶ岳リフトが運行しており、山頂付近までリフトで上ることができます。リフトの降り場から山頂までは、およそ10分ほどの道のりです。途中には賤ヶ岳の戦いで亡くなった先人を祀る社と石仏が見られます。
賤ヶ岳の西には琵琶湖が、北には余呉湖が広がり、見晴しは抜群です。山頂には史蹟賤ヶ岳の碑や武将の像が建ち、賤ヶ岳の戦いに関する案内板を見ながら古戦場一帯を一望することができます。
賤ヶ岳リフト乗り場からは登山道も整備されています。標高421mの山頂までおよそ1.5kmほどの道のりですが、往時に思いを馳せながらじっくり散策したいという方にはよいでしょう。
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賤ヶ岳古戦場(賤ヶ岳リフト)の観光情報
住所 | 滋賀県長浜市木之本町大音 |
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営業時間(リフト) | 9時~17時(11月は16時まで) |
休業日(リフト) | 12月~4月中旬頃まで休業 ∗6月・7月・9月は平日休業(2014年度) |
料金(リフト) | 大人 片道410円、往復780円 子供 片道210円、往復390円 |
駐車場 | あり |
賤ヶ岳古戦場(賤ヶ岳リフト)への交通アクセス
- 電車にて
- JR北陸本線 木ノ本駅下車、タクシーで7分前後
- 路線バスにて
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JR北陸本線 木ノ本駅より
湖国バス深坂線・菅浦線⌈大音⌋にて下車、徒歩8分前後
- 自動車にて
- 北陸自動車道 木之本ICより5分前後
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小谷城跡 住所:滋賀県長浜市湖北町伊部
浅井3代(亮政・久政・長政)の本拠となった山城です。義兄の織田信長に攻められた長政は奮戦するも及ばず、小谷城内で自刃して果てました。城跡には土塁や石垣、堀切などが残されており、往時を偲ばせます。 -
長浜城 住所:滋賀県長浜市公園町10-10
かつて琵琶湖畔にあった長浜城は、羽柴秀吉が築いた自身初めての城でした。元和元年(1615年)に廃城となりましたが、現在、城跡には初期天守の様式で長浜城歴史博物館が再興されています。 -
姉川古戦場 住所:滋賀県長浜市野村町・三田町
元亀元年(1570年)、浅井長政・朝倉景健連合軍と織田信長・徳川家康連合軍は姉川を挟んで布陣し、激突しました。姉川のたもとには、姉川の合戦で亡くなった人々の供養塔が建てられています。
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